お彼岸やお盆、お墓参りの意味

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お彼岸やお盆、お墓参りの意味

■お墓参りをする本当の理由とは?

お墓参りは感謝と弔意を込めて祖先の冥福を祈る、大切な供養です。かつては日常的にお参りし、ご先祖様との語らいのときを持っていたものでした。しかし、現在そのような方が少なくなり、お墓もお参りもあまり身近なものではなくなっています。そもそもお墓参りには、どのような意味があるのでしょう――?

亡くなった方を埋葬する風習は人間が原始的な暮らしをしていた頃に始まり、お参りも、死者を思う気持ちから定住生活をする人々の間に自然発生的に生まれたものといわれています。

二度と会えなくなった大切な人に対する思慕の気持ちから、亡骸のある墓地に自然と足が向く――。それが、お墓参りの本質です。その後、長い年月がたつにつれて、宗教的・哲学的に死や死後の世界についての概念が豊かに発展し、作法やマナーが生まれました。

現在わたしたちがお墓参りをするのは、おもにお盆や春と秋のお彼岸、命日、年忌法要などでしょう。それらのお墓参りでは、大切な亡き人への哀悼と感謝、そして敬意が、作法やマナーという形にこめられています。ここではまず、お墓参りの本質的な意味を見つめていきましょう。お墓参りが持つ、さまざまな効能や大切な価値が浮かび上がります。

■お墓参りの豊かな効用

大切な人を喪ったときの素朴な思い、心模様――。それを思い浮かべれば、お墓参りの意義は自然と理解されます。お墓参りが遺されたわたしたちを癒し、支え、あらたな学びをもたらすたくさんの効用をみていきましょう。

◇亡き人に心を寄せる

もう一度会いたい、話をしたい、触れたい、心を通い合わせたい、そういった思いを「思慕」と呼びます。その思いに押されるようにしてお墓に向かう機会を持つのは、とてもよいことです。死別はつらく悲しい出来事ですが、お墓参りを通じて故人とのあらたな関係を築いていくことができます。悲しい思い、淋しい思いをお墓参りでほんの少し解消したり、ときにお墓に向かって悲しみを吐き出したりすることで、人は少しずつ癒えていくことができます。お墓参りでは、ぜひ故人に素直な思いを語りかけましょう。

◇心に生じる感謝の気持ちを捧げる

お墓参りに行き、亡き人を思うときを過ごすと、自然と感謝の気持ちがわいてきます。いなくなったからこそわかる「存在の大きさ」を実感するのはつらいことでもありますが、同時に、その人がいてくれたことの幸せや、そのことに対する感謝の思いを強くします。お墓参りでは、自然に生じたその気持ちを捧げます。

◇姿なきものへの畏れと敬意を捧げる

亡き人に、自然に意識を向ける日々を過ごしていると、その方の存在を身近に感じ、見えない世界を身近に感じるようになるものです。それらを無闇に恐れたり、また憧れたりするのでなく、自分なりに自然に心に据えるようになると、自分たちが見守られていると感じたり、なにか大きな力に生かされていると感じることもあるでしょう。姿なき大きな存在への敬意が生じてくるものです。

◇死に親しみ、理解を進め、自分が生きることと死ぬことの学びになる

お墓参りのたびに、死や死者に思いを馳せて過ごすうち、次第に自分なりの死生観が育まれていきます。人が死んでいくのはどのようなことだろう、死んだ後はどのようになるのだろう、そもそも人の生死を決めているのは何なのか――。そのようなことを何気なく考える機会を持つだけでも、いつか自分が迎える旅立ちのときへのよい準備になります。

気持ちが向いたときに、心のままにお墓参りをする。そんな日々を重ねることで、わたしたちは大切な人を喪った悲しみを吐き出し、慰められ、死者とのあらたな関係を築き、力強い死生観を育んでもいるのです。 

お墓参りは、亡き人を思う心が本質です。では、お墓参りの儀礼、しきたり、作法、形式は意味がないのでしょうか? もちろん、そのようなことはありません。お盆、お彼岸、命日、年忌法要などにみられる作法や形式の意味を知ると、それが亡き人を思う気持ちから生まれたものだと理解することができます。